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'LOSER' Made Legend

  • U S
  • 10月14日
  • 読了時間: 5分


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SUBPOP


古着、カルチャー、音楽好きな方は一度は聞いたことある見たことがあるはずだ。


知っている方は改めて、


そしてご存知無い方は、音楽ムーブメントとは何か、ファッションや精神性との繋がりはなんなのか、いちコラムとしてご覧になってみて欲しい。



SAVES THE DAYの想うDIY精神は間違いなくこのカルチャーの一部に習うものである。



アメリカの小さな街から生まれたムーブメントの世界をここで紐解いていきたい。





“Loser.”

“Rockboss.”

一見ただの皮肉に見えるこの言葉たちは、90年代の空気をそのまま閉じ込めたような、あるレーベルの象徴だ。

その名は Sub Pop(サブポップ)。


SAVES THE DAY がその名を語る理由は単純。

ストリートの精神、反骨の美学、そして「一瞬のリアル」を切り取る感覚——

そのすべてのルーツが、Sub Popという小さなZINE(簡単に作れる小冊子のようなもの)から始まったムーブメントに息づいているからだ。





Sub Popの物語は、シアトルより少し南、ワシントン州オリンピアの片隅で始まる。

1980年代初頭、Bruce Pavitt という青年が発行していたZINE「Subterranean Pop」。

地方のインディーレーベルを紹介するその小冊子が、やがて「Sub Pop Records」へと進化する。


SUBPOP Founder  'Bruce Pavitt'
SUBPOP Founder 'Bruce Pavitt'



1986年、Pavittは仲間のJonathan Ponemanと正式にレーベルを設立。

翌年リリースしたコンピレーションアルバム『Sub Pop 100』には、Sonic Youth や Wipers、U-Men など、当時の地下シーンの重要バンドが名を連ねた。


当時のSub Popのスローガンは、


“Going Out of Business Since 1988.”(1988年からずっと倒産寸前営業中)


皮肉とユーモアを交えた自虐コピー。

それがすでに、このレーベルの哲学を語っていた。もうやばい。


Sub Popが本格的に世界を揺らしたのは1988〜1991年。

Soundgarden, Green River, Mudhoney, TAD, そして Nirvana。

この5組が、のちに“Grunge”と呼ばれるサウンドの核心を形作った。


Nirvanaのデビューアルバム『Bleach』(1989)は、Sub Popからわずか600ドルの予算で録音された。


実際のAgreement 確かに600ドルの記載が。
実際のAgreement 確かに600ドルの記載が。

このレコードが後に世界を変える“前夜”の記録になるとは、誰も想像していなかった。 


NIRVANA 'BLEACH'
NIRVANA 'BLEACH'



同じ頃、Sub Popは「Lame Fest」というローカルイベントを開催。

Nirvana、Mudhoney、TADの3バンドが出演したこの夜が、グランジシーンの転換点として今も語り継がれている。



Sub Popの面白さは、音楽だけではない。

1992年、レーベルのスタッフ Megan Jasper はニューヨーク・タイムズの記者に向けて「グランジ語辞典(Lexicon of Grunge)」という架空のスラングリストを送った。

それが紙面にそのまま掲載され、全米中が信じてしまったという笑い話。


Sub Popのアイロニーは、まさに“カルチャーを逆手に取るユーモア”だった。

真面目すぎるロックシーンをからかいながら、その中心に居座る。

それこそがSub Popの「ロックのボス(Rockboss)」的スタンスだった。




1995年、Sub Popは経営難からWarner Musicに49%の株式を売却。

共同創業者のPavittはその翌年に退任。

だが、この“メジャーとの半独立関係”が、レーベルの再生を生んでいく。


2000年代に入ると、The Shins『Oh, Inverted World』、The Postal Service『Give Up』、Iron & Wine『Our Endless Numbered Days』などがスマッシュヒット。

グランジ以降のインディーシーンを牽引する新たな顔となった。


特にPostal Serviceは、Ben Gibbard(Death Cab for Cutie)とJimmy Tamborelloによる宅録プロジェクト。

郵便でトラックをやり取りして作られた作品が、結果的に“デジタル時代のインディーポップ”を象徴することになる。

ここにもSub Popらしい「偶然の化学反応」が息づいてい



現在のSub Popは、単なるロックレーベルではない。

Beach House, Fleet Foxes, Sleater-Kinney, Band of Horses, Father John Misty、

さらにはコメディや映像プロジェクトまで手がける。


彼らは常に「次のサブカルチャー」を見つけ、世界に発信するハブとして存在している。

限定版LPや“Sub Pop Singles Club”など、フィジカルとカルチャーの融合にもこだわり続けている。


余談ですが


シアトルは年間を通して200日以上が曇りか雨。

冬は長く、灰色の空としっとりした湿気が街を覆う。

気温も低く、空はどんより。


そんな中で育った若者たちは、

自然と外よりも地下のガレージやスタジオにこもって音を鳴らすようになる。


つまり、


天気が、音楽を“内向的”にした。とも言えるのかと。


LAやNYのように太陽の下で派手にやる感じではなく、

もっと“沈んだ感情”や“こもった怒り”、“倦怠”がサウンドに反映されたんです。



これがまたシアトルグランジの奥行きの深さなのかもしれない。


◾️SAVES THE DAYが感じるSub PopのDNA



SAVES THE DAYにとって、Sub Popは“服の上の音”のような存在だ。

完璧じゃなくていい。

むしろ、ラフで、リアルで、反骨であることに価値がある。


キャッチフレーズである“Loser”も“Rockboss”も、“No Comment”も、

すべては ロックとは何かを再定義するための皮肉だった。


SAVES THE DAYが日常の一瞬を切り取るように、

Sub Popは時代の“空気”そのものをレコードに焼き付けてきた。

その精神は、いまのストリートにも確かに生きている。



そんなSUBPOPを楽しむには音楽は当たり前のこと、ファッションでも楽しもうではないか。


Vintage SUBPOP sweat hoodie
Vintage SUBPOP sweat hoodie


SAVES THE DAYローンチ構想前、必ずやりたいと思っていたアイテム。これがなかなか集まらないがなんとか数枚。



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初期物〜90s中期のものだと市場ではハイエンドなプライスになっている為、あえて90s後期のものを。


ラフに自由に各々のスタイルで。



今回は季節的にもフーディでいかがでしょうか?



肩肘張らずに、決して音楽からじゃなくても、特に知らなくても良い。


この自由なDIY精神と共にファッションしてみてはいかがでしょうか?


着てる日にはなにか、良いマインドセット、起点の効いた何かが起こるかもしれません。




商品の詳細は当サイトSHOPページでご覧ください。






 
 
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